学校と、ホームスクールと

初めての子育て。誰も教えてくれないけど大切なこと。人と比べず情報に翻弄されず。経験をシェアすることで誰かの役に立つといいな。

子どもの繊細さ。弱くも強くも、純粋なこと。

つい最近、私の両親がわが家へ泊りに来ていたの。そして、キキとメイを連れて1泊2日で旅行へ行った時の事。帰りに有名なお寺に寄ってお参りをしたらしく、そこで何やらキキは長い間お願いをしていたから、帰り際にばーばが何をお願いしたか聞いてみたんだって。キキは「自分の事とか、じーじとばーばの事もお願いしたよ」と言ってたらしい。

そして、いつもどうしても二の次になってしまうメイちゃん。ばーばがメイに、「メイは何をお願いしたの?」と聞くと、

戦争が早く終わります様に、ってお願いした。

と。その出来事をばーばに聞いて、私、本当にビックリしたの。だって、ウチはテレビがないから戦争のニュースなんて一切流れないし、私たちからメイに今回の戦争の話を詳しくした覚えもない。一度だけ、ばーばが持ってきてくれた地球儀をみながら、「ここで今、戦争が起こってるんだよ」ってさらっと説明したことはあるくらい。例えば、日頃からロシアの残虐な情景をニュースで見てるとか、私たちが言って聞かせてるとかなら、今回のメイの発言にも納得がいくんだけど。

ロシアとウクライナの戦争が始まる前に、戦争について話したことはある。でも今回の戦争については、ただ単に子ども達に話すきっかけがなかっただけで、話さない様にしていた訳でもない。それに、戦争について質問をしてくるのはいつもキキの方。メイは聞いてるんだか聞いてないんだか分からないって感じなんだけど。だから尚更ビックリなの。

 

それでね、帰りの車の中で、キキがじーじとばーばに戦争について質問したらしいんだけど、メイが「その話はしないで」って言ったんだって。と言うことは、メイは聞いてるんだか聞いてないんだか分からないのではなく、「戦争」の話をしたり聞いたりするのが苦しかったのかもしれない、って思ったの。

今までは、ついついキキに気が取られて、「キキは繊細」「メイはしっかり者」って勝手に思い込んでいたけど、本当はメイの方が繊細に感じてる時だってあったかもしれない。「親だから子どもの事をよく分かってる」なんて言うのは、ただの親の決めつけで、本当は子どもの本質なんて分かっていないのかもしれないって。そう考えると、メイの気持ちの変化に気付けなかった事がいっぱいあったかもしれないなって、反省した。思い込みで物事を判断したり決めつけてしまう事がよくあるけど、気を付けなきゃいけないなって。

 

この話をマリ君にしたら、

メイはエンジェルだね。世界を救える人間になるかもしれないね。

って言ってた。そうなってくれたらいいな。その純粋さは時に人より深く傷つくことになるかもしれないけど、時に何よりも強いものにもなり得るかもしれない。子どもの潜在的な能力や可能性を感じた瞬間でした。

 

でも、新聞か何かでも見たんだけど、やっぱりメイみたいに感じてる子どもはいるみたい。「戦争が始まってから子どもの元気がなくなった」とか「テレビで戦争のニュースが流れると、子どもがすぐにテレビを消す」なんてことがあるらしい。やっぱり子どもは大人よりもずっと敏感に情報をキャッチして、遠い国の人たちの痛みに寄り添い、時には自分の痛みの様に感じてしまう想像力を備えてたりするんだろうな。

今回の事で、物事の見方が少し変わった。子どもは未熟で大人は成熟していると世の中では思われているけど、大人が無くしてしまった感覚を子どもは備えていると思えば、子どもにしか感じられない感覚もある訳で、比較すること自体が間違っている気がする。

子どもって素晴らしい!そう思ったでき事でした。