学校と、ホームスクールと

初めての子育て。誰も教えてくれないけど大切なこと。人と比べず情報に翻弄されず。経験をシェアすることで誰かの役に立つといいな。

真夜中の不穏

それは突然やって来た。

 

今日はすごく疲れたな―と思いつつ、読みかけの本を何とか最後まで読み終えてから、電気を消し目を閉じた。ひどく疲れていたので、すぐに眠りについた。

 

そして次の瞬間、ハッと目が覚めた。とんでもなく嫌な夢を見ていた様で、目を覚ますと心臓がバクバクと音を立てていた。どこかで物音が聞こえた気がして、部屋の中に誰かがいる様な気がして、必死で暗闇の中で目を凝らした。もちろん、そこには誰もいない。

高鳴る心臓が少しずつ落ち着きを取り戻すと共に、モヤモヤとしていた感情の正体が、次第にはっきりと輪郭を表した。そこにあったもの。

別れ、悲しみ、孤独

 

どうして急に?そう思ったけれど、それは急になんかじゃなかった。それは少しずつ、私を追い詰めていたんだ。

 

私はそっと布団を抜け出し、パソコンへ向かった。気持ちを整理したかったし、なぜか無性に、この気持ちを書き留めておきたいと思った。

 

心の中を一つ一つ丁寧に整理していく。

まず、一番最初に思い浮かんだ友達がいた。彼女は、私が大好きな友達で、ずっとこれからも一緒に子育てをしていけたら、どんなに幸せだろうと思っていた。彼女自身がホームスクールで育ち、フランス人の旦那さんがいて、同い年くらいの子どもが2人いて、去年は週1でホームスクール活動を一緒にしていて、彼女のお父さんは、私たちが一緒に田んぼをやらせてもらっているおじちゃんだ。

そんな彼女が、8月に京都へ引越すことになったのだ。公立の学校に限界を感じて、京都のフランス人学校へ通わせるために、引越しを決断した。 

それは、彼女たちにとってはとても明るい未来であり、喜ばしいことなんだけれど、私は寂しくて仕方なかった。

 

 それから、もう一人去年一緒にホームスクール活動をしていた友達がいた。その子は、ある日突然、「私たち(子ども4人の6人家族)、3匹の猫連れて日本一周に行くことにしたから!」と言い出した。そして一昨日、旅立つその日にウチに寄ってくれて、トレーラーを引くワゴン車を、キキとメイと共に見送ったばかりだった。

秋には帰って来るし、特に深くは考えていなかったんだけど、こうして旅立ちを見送ると、その後はとても寂しい気持ちになるものだ。キキも車を見送った後、「バイバイしたら急に寂しくなって来ちゃった」と言っていたし、私もすごく寂しく感じた。

 

去年はこの3家族でホームスクールの活動を楽しんでいたのが噓のようだ。なんだか置いてけぼりにされた子供みたいに悲しかった。

 

そんな事が引き金となって、孤独感がどんどん溢れ出した。

 

田んぼを一緒にやってる最初の友達のお父さんもまた、コロナワクチンを打ち次第、旅に出てしまう。これは随分前から決まっていた事で、コロナ騒ぎが無ければ、本当は4月に出発する予定だった。恐らく8月には2回目の接種が終わり、そうしたらいよいよ、2年間の日本一周の旅へ出発してしまうのだ。

彼もまた、ホームスクールの元祖と言うか、自分の子ども2人をホームスクールで育て上げた、私の強い味方なのだ。自分の子育てに不安になった時、彼はいつも太鼓判を押してくれる。「それでいいんだよ」って。私の倍くらい生きているそのおじちゃんの言葉は、本当に力強くて、私はまた自信を取り戻すことが出来た。

 

そんなことを考えていたら、私の大切な人たちは次々と遠くへ行ってしまうんだ、と更に悲しくなってしまった。それから、他にも大切な友達の事を思い浮かべた。

 

私が大好きで続けていたアフリカンダンスも、去年の冬から妊娠・出産ラッシュで人が集まらず、練習ができていない。週に1回、大好きな友達と、大好きなダンスをすることが楽しくて仕方なかったのに、これもまた叶わない。

 

そしてふと思い返す、今晩の夜ご飯。スーパーで美味しそうな魚が手に入ったので久しぶりに腕を振るった。マグロの漬け丼と、アジフライと、庭の採れたて野菜をたっぷり入れた味噌汁。それなのに、18時半には夜ご飯を食べようって約束して出掛けて行ったマリ君と子ども達が一向に帰って来ない。18時半に食べれるようにテーブルセッティングを終わらせて待っていたけど、何の連絡もない。ご飯も冷めちゃったし、お腹も空いたので、19時を回ってから一人でご飯を食べた。

 

それに、追い打ちをかけたのが、眠る直前で読み終えたその本は、悲しみながら愛おしいペットの豚を解体し、有難く命を頂き、そして最後には母親がガンで亡くなって話が終わっていた。

 

これは、偶然と言う必然だと思った。別れに対する悲しみを、無意識的に避けていた私に、自分の気持ちに向き合う機会を与えたのだ。悲しみに蓋をしてはいけないんだと。

 

こうして悲しみを一つ一つ認めていくと、心の中が少し軽くなった。

 

それから、他にも私を支えてくれている友達に想いを馳せた。「学校に行かせた方がいいよ」とよく言われるママ友とは、さりげなく距離を置いてしまっていたけど、彼女は私のコトを心配して言ってくれてることだし、もし言われるのが嫌なら、今度は素直に自分の気持ちを伝えようと思った。「そう言われると、私はすごく悲しい気持ちになるんだ」って。

頭がすごく良い友達は、いつも難しい話ばかりで、何となく私とは住む世界が違うんだなと思っていたけど、その子は絶対に私の子育ての事に口を出さないでいてくれる。ウチはウチ、よそはよそ。そうハッキリ区別しているからだと思うけど、学校の話にならないのは、正直、とても有難い。

 

孤独を感じるのは、自分で壁を作っているからなんじゃないか。大好きな人との別れは悲しいけど、私の周りには素敵な人たちがたくさんいて、私は一人なんかじゃないはずなんだ。

人間は誰も完璧じゃない。私なんて欠陥だらけなんだから。相手を認めて受け入れることは、自分を認めて受け入れるのと同じことなんだ。

 

ここまで気持ちが至って、ようやく、一息つく。心が落ち着きを取り戻す。これでまた眠れそうだ。