最近の私の焦点はもっぱら自分の内面と向き合うことであり、パーマカルチャーの勉強を始めたのと共に、その傾向は更に強まる一方である。
私は自分を”未熟な人間”だと思っているし、もっと自分が望む自分へ変わっていきたいという思いが強い。こんな自分じゃダメだとか、もっとこうなりたいと言う思いがあってとても苦しい時がある。自分を受け入れたいと思う半面、今のままじゃ受け入れられないと言う思いが交錯している。
そんな時、パーマカルチャーを学ぶ仲間とのふとしたメーリングリストの会話からこの思いが一気に溢れ、そんな内なる部分を皆と共有したいと思った。そして講師の一人こうちゃんからの応答にとても心を打たれた。
自分を受け入れられないのは、強欲である
今までの積み重ねが今ここにあって、それ以上を求めるのは苦しいだけだ
と。なるほど。”強欲”という言葉が自分の中でスッと腑に落ちた。自分を受け入れると言うことは、未熟な自分で良しとすることであり、完璧を求めないことなのかもしれないと思った。自分が思った通りの人間になりたいと思うこと自体、もしかしたら間違いなのかもしれない。
そして前回のパーマカルチャーの講義の一部で”アーユルヴェーダ”を学んだ。アーユルヴェーダって何となく知ってたけど、関わるきっかけもなく今まで素通りしていたことの一つ。
アーユルヴェーダでは心の性質を、サットワ・ラジャス・タマスの3つに分けている。
サットワは知性から生まれ、誰もが持っている心の光である
ラジャスは欲望を持ち、タマスは怒りをもち、この2つは互いに依存している
この身体の一切の門において知識と言う光明が生ずるとき、
サットワが増大したと知るべきである
つまりサットワの性質を増やすことが幸福に繋がる道と言われている。
自分に満足できないことは強欲であり、つまりラジャスである。ラジャスが増大する事によって怒りのタマスも増大し、私は幸福の道から遠のいているという事になる。
幸福は真我(本当の自分)の本性そのものである
私たちは無知ゆえに
対象物から幸福を得るものと思っている
あなたなの務めは「在る」ことである
あなたは、本当は無限の純粋な存在であり
絶対の真我であると知りなさい(すべてはあなたの内にある)ラマナ・マハーリシ
そしてつい最近、マリ君に本をプレゼントしたい言われて勧められた、
エックハルト・トール著書の「The Power of Now」という本にも書いてあった。
自分の中には2人の自分がいて、本当の自分と自分の思考である。
思考は常に比較をしたり、文句を言ったり、好き嫌いを言ったりする。そして自分自身を攻撃するのである。本当の自分とはただそこに「在る」だけであり、物事を批判せず偏りなく受け入れることである。
なんとなく、いろんな事が繋がり始めてきた。まだ輪郭はぼんやりしていてハッキリとは見えないけど、あと少しでとても大切な何か感じることが出来るような。
まだ本も半分しか読んでないし、アーユルヴェーダも触りを教わっただけだから、少しずつ少しずつ、今の自分に集中出来たら何かが変わるのかもしれない。