2018年3月からパーマカルチャーを本格的に勉強し始めて早3ヵ月。月に一度の講義+農業実習+宿題が通常の流れ。
3ヵ月経ってみて、私の中でのパーマカルチャーの定義が少し変わった。
それは例えば、
ーパーマカルチャーはライフスタイルではなく、自分自身を、又は自分が生活の中で行っている物事を、パーマカルチャーの知識を駆使して他の人や物事とどう繋げられるか考える事にある。
のではないかと今は思う。もっと噛み砕いて行ってみると、
ー自と他を、または他と他の良い関係性を見つけるところにある
のではないか。
関係性を見つけて繋げる。良い関係性を見つけられれば、良いサイクルが出来上がる。まずは1番身近な自分の生活の中に良いサイクルを作り、そのサイクルを他の何かと繋げる。そんなイメージかな。
言葉で表すのって難しい~。これじゃあパーマカルチャーを知らない人にはちょっと理解しにくいかな…。でも今は、まだパーマカルチャーの核心が私の中に完全には落とし込めていないから上手く説明できないのかもしれない。
それから、パーマカルチャーを学び始めて、講義を受ける度に感じる事。それは、
ー内側の自分と真に向き合うこと
が大切なんじゃないかと。前回の講義で先生が何回も言ってた。
「物事を、ありのまま感じること」
がとても大切だと。これはシンプルだけど、意識しないととても難しい。なんせ私たちは、物事を「良い」「悪い」で判断する癖がついてしまってるから。
物事をありのままに感じることは、自分の気持ちを素直に表現するところにも繋がっていくんじゃないかと思う。ところが自分の気持ちをありのまま相手に伝える事って、実は案外難しい。正しい言葉を選んで、丁寧に言葉にする必要がある。相手がどう反応するか、これを言ったらこうなるんじゃないか、そんな事を考えれば考えるほど、自分の気持ちを素直に表現することは難しくなっていく。これは特に日本の文化に強くみられる傾向なのかもしれない。
「空気を読む」とか「暗黙の了解」といった言葉は特にそうなんじゃないか。でも実際には空気を読むことなんて不可能だし、相手がどう思ってるのかを頑張って想像したって、それが100%当たっている、なんてことはあり得ない。それよりも率直に質問した方が無駄に思いを馳せる必要もなく、思い違いも避けられるはずなのに。
そんな日本の傾向が、私たちを「自分がどう思うかよりも、まず相手がどう思うかを先に考える」ように癖付けてしまったのかもしれない。
それでも、私たちはちゃんと自分の心の声に耳を傾けられる力をまだ失っていない。きちんと自分と向き合えば、必ず心の声が聞こえてくる。でもそれには、少しの手助けと少しの努力が必要かもしれない。まずは「思い込み」や「先入観を」取り払うこと。言い換えてみれば、「雑念」を取り払うこととも言えるかもしれない。もしかしたら瞑想とも似ているのかもしれない。
雑念を取り払い、ニュートラルな状態で物事を観察する
パーマカルチャーでの教えでもあるけど、人生の教えともなるはず。これが出来れば、私たちの人生は一変するかもしれない。苦しい境遇から抜け出したり、解決の糸口が見つかるかもしれない。
そんな事を思った前回の講義だった。