学校と、ホームスクールと

初めての子育て。誰も教えてくれないけど大切なこと。人と比べず情報に翻弄されず。経験をシェアすることで誰かの役に立つといいな。

子どもの主体性に任せるための環境

と、まぁ、前回は不安の正体に迫った訳ですが、子どもの自主性を信じる。うーん、でもこれって今の現代社会ではとても難しくなってきてることだとも同時に思う。テレビがあってゲームがあってスマホもある。スーパーでは何でも買えて、おもちゃだって沢山ある。外で遊ぶ必要もなければ、おやつを作る必要もないし、あそびを考える必要もないんだ。

そう考えると、やっぱり環境を整えることが「主体性に任せる」ための大前提であることに気付く。 

 

我が家にテレビもゲームもスマホもないことは、そう考えると本当に大切な事なんだと改めて実感する。でも、周りの子が持ってれば「いいなー、私も欲しい!」となるのは当たり前の話だ。同じ生活リズムで、同じ価値観のコミュニティの中で暮らしていたら、ホームエデュケーションは格段にその威力を発揮するんじゃないだろうか。

 

今の日本では、家の外に出てしまったらその環境を整えることはとても難しいと思う。大人はスマホを片時も話さず、階段ではなくエスカレータを使い、コンビニでお昼やお菓子を買って、歩ける距離でも車を使う。子どもに「ゲームばっかりしてるんじゃない!」と言う前に、「家の中でダラダラしないの!」と注意する前に、まずは自分自身を変える必要があるんじゃないか?子どもは周りの大人を見て成長していくんだから。

外の環境は変えられなくても、家庭の環境なら変えられるはずだから。

 

ところで、シュタイナー学校に通うためには、入学の前に親の面接なるものがあると聞く。そこでは、家での過ごし方について聞かれるらしい。そして家で30分以上スクリーンを見せている家庭は入学が許可されないとか。

なぜならそれは、どんなに学校の環境が良くても家庭の環境が全く違えば意味がないからじゃないか。学校が家庭の延長であり同じ環境であれば、一貫した価値観で子どもは育っていく。もし学校が、我が家のホームエデュケーションの延長上にあったなら、私たちはどんなに楽だろうか。もし、周りがみんな私たちと似た価値観で生活していたらどんなにシンプルだろうか。

「○○ちゃんも持ってるから私もケータイ欲しい」と言ったり、「コンビニでグミ買って!」と大騒ぎしたり、「友達の家で延々とテレビを見てスナック菓子を食べる」心配もない。

 

ここに居るから苦しいんじゃないか、と思ったりもする。川の流れに逆らいまくって生きている我が家にとっては、とても息苦しいのだ。もし同じ流れの中にいたら泳ぐのはどんなに楽だろう。でも、そんな事を考えたって何も変わらない。それに、もしかしたらそんな環境はどこにもないかもしれないし。それなら今、出来ることをやるしかない。「今の世の中は間違っている!」と大声で叫んだところで、誰も気に留めないし、何も変えることは出来ない。でも、息苦しさを感じているのはきっと私たちだけじゃないと思うんだ。表には出さなくても苦しんでる人や我慢している人は沢山いるはず。それはこの世の中が間違った方向へ向かっているからじゃないのか。不登校児が18万人もいるという事実が物語っているんじゃないか。今のがんじがらめの教育では今の大人と同じ人間を作りだすだろう。だからこそ、自由な教育が必要であり、教育が変わればその子の未来は大きく変わり、その一人一人が作りだす社会が変わると思うんだ。

 

そんな未来を夢見て、私は自分に出来ることをするしかない。今はただ自分の子ども達を信じて育てること。